第42回大会 参戦体制
サーキット | 鈴鹿サーキット(三重県)参戦体制 |
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ライダー | 加賀山 就臣 / シルバン・ギュントーリ / 渡辺 一樹 |
吉村 不二雄 社長
加藤 陽平 監督
ヨシムラスズキMOTULレーシングチームは、第42回目FIM世界選手権鈴鹿8時間耐久ロードレースに、全日本選手権で共に戦っている加賀山就臣選手、渡辺一樹両選手に加え、スズキMotoGPテストライダーであるシルバン・ギュントーリ選手を起用して参戦致します。
今年の8耐には国内3メーカーのファクトリーチームが参戦し、我々ヨシムラスズキMOTULレーシングチームはスズキ代表チームとしてファクトリーチームに挑戦する立場となります。
ファクトリーチームを打ち破る事は非常にチャレンジングな事ではありますが、我々ヨシムラの真骨頂である創意工夫と決して諦めない強い気持ちで挑んでいきたいと思います。
I’ve Got The Power!
ヨシムラスズキMOTULレーシングチームに熱い声援を宜しくお願い致します。
ヨシムラスズキMOTULレーシングチーム
監督 加藤 陽平
ライダープロフィール
加賀山 就臣
名前 | 加賀山 就臣 (カガヤマ ユキオ) |
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出身地 | 神奈川県 |
誕生日 | 1974年5月7日 |
身長 | 164cm |
体重 | 67kg |
鈴鹿8耐の第1回から今年の第42回大会まで、唯一連続出場しているチームヨシムラから9年振りに8耐ライダーとして出場できる事となり、光栄に思っています。
8耐を代表するようなチームに新たに優勝という歴史を加えるべく、ライダーのシルバン選手、一樹選手、そしてチームスタッフと共に力を合わせて、目標を達成する為、全力で挑みます。
ヨシムラスズキMOTULレーシングチームの応援よろしくお願いします。
主なレース戦績
2019 | ヨシムラスズキMOTULレーシングより全日本選手権 JSB1000 参戦中 ヨシムラスズキMOTULレーシングより鈴鹿8時間耐久ロードレース参戦 |
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2018 | 鈴鹿8時間耐久 11位 全日本選手権JSB1000 年間ランキング 10位 |
2017 | 鈴鹿8時間耐久 17位 全日本選手権JSB1000 年間ランキング 10位 |
2016 | 鈴鹿8時間耐久 6位 全日本選手権JSB1000 年間ランキング 8位 |
2015 | 鈴鹿8時間耐久 3位 全日本選手権JSB1000 年間ランキング 12位 |
2014 | 鈴鹿8時間耐久 3位 全日本選手権JSB1000 年間ランキング 5位 |
2007 | 鈴鹿8時間耐久 優勝 ワールドスーパーバイク参戦 |
シルバン・ギュントーリ
名前 | シルバン・ギュントーリ |
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出身地 | フランス |
誕生日 | 1982年6月24日 |
身長 | 179cm |
体重 | 62kg |
今年もまたヨシムラスズキMOTULレーシングチームの一員として鈴鹿8耐参戦で日本に戻れることをとても嬉しく、また光栄に思っています。
昨年は好スタートを切り、トップ3台での争いの中で一時はトップに立つ機会もありましたが、序盤の転倒により順位を回復することを強いられたレースとなってしまいました。
今年はトラブル無く表彰台に向けて一直線で戦っていきたいと思いますので、応援よろしくお願いします!
主なレース戦績
2019 | ヨシムラスズキMOTULレーシングより鈴鹿8時間耐久ロードレース参戦 |
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2018 | 鈴鹿8時間耐久 10位 |
2017 | 鈴鹿8時間耐久 7位 ブリティッシュスーパーバイク選手権 年間ランキング 13位 |
2016 | ワールドスーパーバイク選手権 年間ランキング 11位 |
2015 | ワールドスーパーバイク選手権 年間ランキング 6位 |
2014 | ワールドスーパーバイク選手権 年間チャンピオン |
渡辺 一樹
名前 | 渡辺 一樹 (ワタナベ カズキ) |
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出身地 | 山梨県 |
誕生日 | 1990年10月2日 |
身長 | 170cm |
体重 | 68kg |
ヨシムラスズキMOTULレーシングのライダーとして2年目のシーズン。昨年の鈴鹿8耐は残念ながらチームの一員として走る事が叶わなかったので、今年改めてメンバーとして挑戦できる事が楽しみです。
全日本ロードレース前半戦では、久し振りの表彰台獲得を果たしたので、その勢いのままに鈴鹿8耐の舞台では1番高いところに上がる事を目指して、加賀山選手とシルバン選手、そしてチームと協力し共に戦っていきたいと思います!
ヨシムラスズキMOTULレーシング。皆さんも全力で!応援宜しくお願いします!
主なレース戦績
2019 | ヨシムラスズキMOTULレーシングより全日本選手権 JSB1000 参戦中 ヨシムラスズキMOTULレーシングより鈴鹿8時間耐久ロードレース参戦 |
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2018 | 鈴鹿8時間耐久 4位 全日本選手権 JSB1000 年間ランキング 7位 |
2017 | スーパースポーツ世界選手権 参戦 |
2016 | 鈴鹿8時間耐久 2位 全日本選手権 JSB1000 年間ランキング 6位 |
2015 | 鈴鹿8時間耐久 9位 全日本選手権 JSB1000 年間ランキング 3位 |
2014 | 鈴鹿8時間耐久 12位 全日本選手権 JSB1000 年間ランキング 7位 |
2013 | 全日本選手権 JSB1000 年間ランキング 7位 |
2019年 鈴鹿8耐 デンソーレースクイーン
昨年に続いて、今年もデンソーの一員としてヨシムラスズキMOTULレーシングチームを応援することができてとてもうれしく思っています。
皆さんも鈴鹿に来て、私と一緒に応援してくださいね!
ヨシムラの第42回鈴鹿8耐
皆さんは鈴鹿8耐が始まる以前からも鈴鹿サーキットで数々の2輪耐久レースが行われた事をご存知でしょうか?
鈴鹿サーキットは1962年の秋に正式オープンしていますが、2年後の1964年(東京オリンピックが開催された年)にはMFJ主催「18時間耐久ロードレース」が、更に翌1965年には24時間耐久レースが開催されています。
その頃、ロードレースといえば九州福岡の「雁ノ巣」でしか行われていませんでしたので、これは日本で最初に開催された本格的なロードコースでの耐久レースで、大変な注目を集めておりました。
1964年の当時、私自身まだ中学生でしたが、どの様な内容のレースだったかハッキリと覚えています。そしてヨシムラは、この記念すべき鈴鹿サーキットでの初の耐久レースで優勝し、九州福岡に凱旋しました。これを境にヨシムラの名前は全国に知られるようになり、今の東京都福生市に進出するきっかけとなったのです。
今年はこの18時間耐久から55年目になりますが、ヨシムラは鈴鹿サーキットと共に耐久レースの歴史を歩んで来たと自負しており、1964年の18時間耐久から14年を経て開催された1978年の第1回鈴鹿8耐の優勝は、まさに快挙といえるアメリカからの凱旋優勝でした。
この夏、42回目の鈴鹿8耐参戦を迎えますが、ファンの皆さんと優勝を喜べたらと思っておりますので、応援宜しくお願い申し上げます。
株式会社 ヨシムラジャパン
代表取締役社長 吉村 不二雄
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