ヨシムラとカムシャフト
ヨシムラの歴史。
それはカムシャフトから始まった。
POPヨシムラ。私の親父である。
気むずかしいが、まわりの人には親父みたいに慕われていた。私にとってPOPヨシムラとは、頑固で厳しい父親であり、カリスマ的存在であったように思う。
親父の周りにはいつも人がいて、ひっきりなしに家を訪れては長い時間話し込んでゆく。ぶっきらぼうで、人一倍の人情家。そして、その名を世界に知らしめた名チューナーであった親父。
1964年の鈴鹿18時間耐久レースでの優勝。当時中学生であった私は、様々なレース関係の本を読みあさるようになっていた。本を見るにつれ、このレースがどんなにすごいものかを知ったとき、このレースで勝利をおさめた親父の顔を、信じられない思いでまじまじと見ていた。見る目も変わり、態度も変わった。この人は凄い人なんだ・・・。
そんな気持ちを持ち始めてから何年もたたず、私はカムシャフトを作るはめになってしまった。その当時、ホンダのS800やS600のチューニングをやり始めていて、親父はその仕事にかかりっきりになっていた。
が、疲労の為か倒れてしまい、カムシャフトが仕上げられなくなってしまった。
親父は、よりによって私にカムを仕上げろと命じた。正直に言えば最後の仕上げの部分で、砥石で磨きあげるだけだったのだが、「なんで俺なんだ!」って思った。それまでは、みようみまねで遊び程度でエンジンをいじってはいたが、こんな大仕事をやったことがなかったから最初は猛烈に拒否した。結局親父に怒鳴られて、頭がパニックになりながらも親父の言われるがままにホンダS800のカムシャフトをなんとか仕上げることが出来た。
今でこそ確かなリザルトは忘れてしまったが、上位の成績でフィニッシュしたことは記憶に残っている。助かったと思う気持ちと、親父がほとんど作り上げたカムシャフトであったが、自分が仕上げたカムシャフトが通用し、良い成績が残せた自信でいっぱいだった。
1970年に作ったCBのチューニングマシンは、親父にとってかなりの自信作だった。
ストレートで1Kmあれば200Km/h以上出せると豪語していたマシンを、ついにアメリカに持ち込んでしまった。私は、このアメリカでのレース生活で様々な経験をし、チューナーとしての技術や、ノウハウを学んだ。親父達がここを引き上げた後も一人でアメリカに残り、約5年間みっちりとアメリカを学んだ。親父のそばにいたら絶対わからないこと、そして別のアプローチのしかたがそこには沢山あった。
私は、親父の仕事を見る度に、その創造力と技術力に感心させられた。しかし私がその姿を見続けて考えたことは、なんとか数値化できないかということ。70年代後半には、計算によるカムシャフトの設計を確立したものの、その後様々な要素がからんでくるにしたがって計算が困難になってきた。
そんなある日、プログラミングの出来るポータブルコンピューターがあるのを知り、発売されてまもなく電気屋に飛び込んだ。買ったはいいが使い方などさっぱりわからない。聞いても誰も知らない。理解しようにも手元にあるのは初めて目にする、小憎らしいほどに難解な数字や、コンピューター用語の羅列された分厚いマニュアルだけ。その分厚いマニュアルをなんとか理解し、使いこなせるようになってからは設計がはるかに楽になった。
親父とは、まったく別の苦労が私にはあった。ある日、コンピューターで設計したGSのカムシャフトを親父のもとへ、いそいそと持っていった。繊細で微妙、職人として培われた親父の技術者としてのプライドはコンピューターを拒否した。特にカムシャフトは、繊細で微妙なラインを創りだす技術と感性を必要とし、ポンと簡単に作れないことを誰よりも本人が痛感していた。だからその時は、親父の目にはそれが無意味なただのでかい計算機位にしか思えなかったのかもしれない。
それでも、時代が違うのは親父もわかっていたはず。急激に進化するバイクを目のあたりにして、それを一人で受け止めることが困難な状況であることを、彼自身、ひしひしと感じていたと思う。計算ずくのカムシャフトに最後まで納得できなかったけれど、どこかで認めなければならない現実にとまどっていたみたいだった。実際この頃からワークスが大金をつぎこみ、実車とはかけ離れたモンスターバイクを作り始め、なおさらプライベーターが勝つことが困難な状況になっていたのだから。
ヨシムラのカムシャフトは、仕上げだけは昔のまま。すべて昔親父から教えられたように砥石で仕上げる。技術が進んだ今でさえも、これだけはかなわない。
親父があくまでもこだわっていたカムシャフトに、私もあえてこだわっていきたい。それは先に述べたように、カムシャフトは繊細で微妙なラインを要求されるパーツであり、大きな負担のかかる場所でもある。(現在はコンピューター解析によるマルチサインカーブが、微妙で繊細なラインを創りだす)しかも、氷のようになめらかに仕上げる。それは1/1000mm単位での作業になる。そんなカムシャフトに対するこだわりを、私がしっかり受け継いでいくつもりだ。
確かに今でも、カムシャフトを創りだすエネルギーや、手間のかかる仕上げを思えば、あまりうまみのある商売ではない。一般ユーザーがカムシャフトを組み込もうと思えば、その周辺パーツまでも交換しなければならないし、エンジンを開けるわけだから、組み込んでもらえない量販店や技術的に不安なショップにもおけないことになる。では何故創るのか?それはエンジンの特性がガラっと豹変するからである。
カムシャフトの出来不出来はレース自体を左右するもっとも重要なパーツであり、その出来いかんで素晴らしい結果をもたらしてくれることを、私も親父もいやというほど体験してきた。
吉村 不二雄
Camshaft Index