孤高のレーサー加賀山、最後のヨシムラ!
サーキット | 孤高のレーサー加賀山、最後のヨシムラ! |
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ヨシムラスズキMOTULレーシングチームは、2019年全日本ロードレース選手権最終戦鈴鹿MFJ-GPを最後に加賀山就臣選手とのライダー契約を終了する事をご報告させて頂きます。
加賀山選手は2003、2004、2005、2007、2008、2010年とヨシムラスズキのライダーとして鈴鹿8時間耐久ロードレースに参戦し、チームと共に数多くの成功を収めました。特に2007年はヨシムラに27年ぶりの3回目の鈴鹿8耐優勝をもたらし、ヨシムラ歴史の中での大きな成功の立役者として、皆様の記憶に強く印象付けました。
また、彼のファイティングスピリットとリーダーシップはヨシムラスズキのレース活動及びマシン開発に不可欠な役割を果たし、チームを牽引して来ました。
ヨシムラスズキチームは加賀山選手がこれまでに達成した功績、チームに対する多大な貢献に感謝すると共に、将来の成功を祈って、最終戦に彼を送り出したいと思います。
このステージにて加賀山選手が現役でヨシムラのマシンに乗る最後の全日本ロードレースとなる鈴鹿最終戦MFJ-GP、多大な声援をお送り頂けます様お願い申し上げます。
加賀山 就臣
名前 | 加賀山 就臣 |
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出身地 | 神奈川県 |
誕生日 | 1974年5月7日 |
身長 | 164cm |
体重 | 67kg |
吉村 不二雄 社長
「孤高のレーサー加賀山、最後のヨシムラ!」
加賀山君との思い出は、遡ると2003年の鈴鹿8耐になります。
それから、4年後にヨシムラにとっては実に27年振りの勝利を味わう事が出来ました!
彼は、確かに転倒が多いライダーでした。2003年度は英国BSBシリーズ参戦中には生死を彷徨う大事故を起こし、
結果的には日本の病院で再手術という程の重症でした。
手術後に陽平を始めスタッフとお見舞いに行った記憶があります。
その時、「いや~、あと一日帰国が遅れていたら死んでいたかも知れないぞと、医者に言われちゃいました!」と、
いつもの「ユッキー節」で迎えてくれました。それからの彼の再起は、見事なものでした。
2004年 | 鈴鹿8耐 | 2位 | (渡辺篤ペア) |
2005年 | 鈴鹿300km | 優勝 | (秋吉耕佑ペア) |
2006年 | 鈴鹿MFJ-GP | 優勝 | (ヨシムラエンジン貸与) |
2007年 | 鈴鹿8耐 | 優勝 | (秋吉耕佑ペア /27年振りのヨシムラ優勝) |
2008年 | 鈴鹿300km | 優勝 | (秋吉耕佑ペア) |
等など、挙げればキリがありませんが、ライダーとしての素質以外に、何か皆を惹きつけるもう一つの才能を持っていると云う事です。
特に、2006年秋のMFJ-GPには、いきなり「吉村社長、最終戦のMFJ-GPに出たいのでエンジンだけ貸してくれ!」と言い残して、 後は全部(チーム立上げ、スポンサー獲得、SUZUKIの協力要請等など)自分自身が動いてチームを纏め上げ、そして勝ったのです!
今振り返ると、彼とヨシムラは何か要所・要所で繋がっていたのではないかと思う事ばかりです。
今後は「Team Kagayama」の再建と「全日本ロードレースの隆盛・再興」に寄与したいとの思いで、この業界に係わりたいと聞いております。
ファンの皆様方には、「ユッキー」とヨシムラの最後の戦い、応援宜しくお願い致します!
“「Go! Yukky! 」You’ve got the Power!”
加藤 陽平 監督
加賀山選手とは2003年鈴鹿8耐が初めて一緒に戦ったレースだと記憶しています。
当時の彼はイギリス選手権を拠点に世界で戦う選手であり、ファイターで有りました。
私自身も彼の要求に応える為に必死となり、レースで他者と戦うと言うよりは、むしろ加賀山選手と戦っていたと言う様な今となっては懐かしい思い出が残っています。
2007年鈴鹿8耐での優勝は語る必要もない出来事ですが、2008年の8耐も非常に印象深いレースとして記憶に残っています。
ご存知の様にミスをしてしまい4位となりましたが、そのファイティングスピリットはその後の私自身のレース人生における教科書となりました。
2019年の今年は再タッグを組み、これまでの所、思う様な結果が残せてはいませんが、鈴鹿最終戦では加賀山選手と共に表彰台に上がれる様に、全力で戦いたいと思います。
ヨシムラと加賀山選手のファンの皆様、最終戦はこれまで以上のご声援宜しくお願い致します!
まずは、2019年、ヨシムラからエントリー出来た事にチームと関係者の方々に感謝しています。
過去に何度も共に戦いマシンを開発してきました。
選手の晩年期をレーシングライダーとしてチームが迎え入れてくれた事を嬉しく思います。
今年も9年ぶりにヨシムラと再ジョイントして仕事を続けてきましたが、まだ目標としていたレベルに到達出来ていません。
そして、気が付けば最終戦の鈴鹿を残すのみに…、
ヨシムラライダーとして
チームと共に全力で挑んできた事とGSX-R1000のポテンシャルを存分に発揮したいと思います。
最終戦!ヨシムラファクトリーの応援を宜しくお願いします。